日清食品ホールディングス株式会社

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おいしくてエコ!-「カップヌードルリフィル」

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日清食品ホールディングス株式会社

環境の話からは少し離れてしまいますが、安藤百福氏が生誕100周年ということで、様々な取り組みをなさっていたようですね。

日清食品の創業者、安藤百福が1910年に生まれてから、今年(2010年)でちょうど生誕100周年を迎えました。

安藤は戦中・戦後の混乱期に数々の事業に手を染めましたが、たのまれて理事長になった信用組合が倒産したため、その責任を問われて全財産を失うなど、波乱の人生を送りました。無一文から再起を賭けてインスタントラーメンの研究に没頭したのです。

インスタントラーメンの開発のきっかけは、第二次世界大戦後の闇市で、寒い時期に、ラーメンの屋台に長い行列ができていたのを見て、家庭で簡単に食べることのできるラーメンを作りたいと思ったのがきっかけです。試行錯誤の末、世界で初めて誕生したインスタントラーメンがチキンラーメンであり、チキンラーメン以降、インスタントラーメンは世界中に広まっていくことになります。

安藤は数多くの語録を残しているのですが、そのひとつに、「事業を始めるとき、金儲けをしようという気持ちはなかった。何か世の中を明るくする仕事はないかと、そればかり考えていた。」「会社は良い仕事をしたから儲かるのである。儲けとは答えであって、儲け主義とはちがう。」というものがあります。お客様の望まれていることを続けていれば、利益はそれによってあとから得られるものに過ぎないというわけです。

突き詰めれば、安藤の考え方というのは、社会のためになることを行いたいということが根底にあるといえるのではないのでしょうか。

安藤は、社会貢献活動にも熱心に取り組んでいました。1980年代になると飽食の時代になり、青少年の非行が社会問題となりました。食も大切だけれども、体を動かしてエネルギーを発散させることも必要であると考え、未来を担う青少年のスポーツを通じた健全育成を目的とした「安藤スポーツ・食文化振興財団」を、私財を投じて創設したのです。

このように、安藤は社会のために役立つことを続けてきた人間なのですが、今年がちょうど生誕100周年ということもあって、2007年に96歳でこの世を去った安藤百福の生涯を振り返りながら、数々の困難を乗り越え「世のため、人のために食を創る」ことに人生を捧げた「独創と不屈の精神を」を伝える機会になればいいと考え、当社では「安藤百福生誕百年記念展」を開催しました。インスタントラーメンというのは日本で生まれた、“Made In Japan”を代表する製品のひとつです。安藤が亡くなったとき、ニューヨークタイムズには「Mr. Noodleに感謝」という社説が掲載されるなど、海外でも高い評価を得ています。

生誕100周年を機に、安藤百福を通じて日本に誇りを持ってもらうとともに、次世代の日本発の新たな発明が生まれてきてほしいと思います。

現在では日本を代表するインスタントラーメンとなったチキンラーメンですが、出始めたころの市場の反応はどうだったのですか。

チキンラーメン発売に先駆けて実施した百貨店の試食販売では、持参した数量がまたたく間になくなり、お湯をかけるだけでできるチキンラーメンは「魔法のラーメン」と呼ばれるほど、好評を博しました。しかし、いざ卸店にもっていくと、うどんのひと玉が6円の時代にチキンラーメンは35円という値段ということもあり、反応は冷たく、なかなか取り扱ってもらえませんでした。

発売当初のチキンラーメン"

ところが、しばらくすると、お客様の声が小売店に届くようになり、卸店への注文が殺到するようになりました。それからすぐにインスタントラーメンは爆発的なヒットとなっていったのです。

カップヌードルのときも、当時としては斬新な製品であったにも関わらず、袋麺が25円という時代に100円という価格設定でしたので、やはり卸店からは売れないという声が多く寄せられました。社内においても、カップヌードルがヒットすることには懐疑的な意見もあったようです。そこで、お湯さえあればいつでもどこでも食べることができるということを知ってもらうために、レジャー施設や自衛隊、自動販売機の開発など、食品ルート以外の展開を行いました。

販売先のひとつに機動隊がありましたが、1972年の浅間山荘事件の現場がテレビ中継されたとき、偶然、機動隊員がカップヌードルを食べている様子が何度も放映されました。この中継の世間の注目度は非常に高く、視聴者から「あの食べ物は何だ?」と注目を集め、そこから羽が生えたように売れるようになりました。

チキンラーメンもカップヌードルも、今までにないまったく新しい商品だったため、その商品価値を最初は認めてもらうことに苦労したわけですが、すぐに時代も味方をし、爆発的なヒットになったのです。

ついに、宇宙食のインスタントラーメンまでも開発なされたということですが。

世界初の宇宙食ラーメン「スペース・ラム」が完成したとき、安藤百福は94歳になっていました。ちなみに、チキンラーメンを開発したときの年齢は48歳で、カップヌードルのときは61歳です。「人生に遅すぎることはない」という言葉の通り、インスタントラーメンにかける安藤の情熱は、晩年まで衰えることはありませんでした。

2001年に行った記者懇談会における質問で、現在はどのような開発構想を持っているか質問されたときに、人間はどのような環境でも食べなければならず、それは宇宙に行っても同じと答えたことが翌日の朝刊に掲載されたのです。そこから社内でプロジェクトチームを組み、JAXA(宇宙航空研究開発機構)との共同開発を進めていきました。

宇宙食ラーメンは宇宙環境に対応するために、様々な工夫が加えられていますが、ベースとなる技術はチキンラーメンで開発されたインスタントラーメンの製造技術です。宇宙に持っていくためには高い安全性や技術力が求められるのですが、それらはすでにインスタントラーメン自体が持っていたものなのです。逆にいえば、インスタントラーメンは高い安全性や技術力を有する、優れた食品ということが改めて証明されることになったわけです。

宇宙空間は無重力なので、インスタントラーメンをそのままもっていくと麺とスープが浮いて、飛び散ってしまい、機器に悪影響を及ぼしてしまいます。そうならないように、麺は俵型のものを3つ入れ、湯戻し後も形状を保持するようになっており、宇宙船内で給湯可能な70~80℃のお湯でも湯戻しができるようにしました。また、スープにはとろみをつけることで飛び散らないようになっています。そのため、スープと麺を一緒に、フォークでひと口で食べることが可能になっています。

スペース・ラム"

「スペース・ラム」の開発には苦労なされたのですか。

そうですね。一番苦労したのは、無重力空間を再現することができないという点です。そのため、インスタントラーメンがどのような状態になるのかを検証することができませんので、JAXAと共同開発を行い、宇宙で食べるのに適したラーメンを作りました。開発にあたっては、野口聡一宇宙飛行士にもいろいろとアドバイスをいただきました。麺の大きさも“野口宇宙飛行士のひと口サイズ”になっているのです。

また、無重力空間では体内の血液が頭に上り、味覚が鈍くなってしまうため、味はスパイシーなもののほうが好まれることも分かりました。そのようなアドバイスを基に、「スペース・ラム」は濃いめの味に仕上がっています。

そのような苦労を経て、醤油・味噌・カレーのほかに、野口さんのリクエストでとんこつ味と、4種類もの宇宙食ラーメンが誕生しました。

2005年7月に「スペース・ラム」はスペースシャトルに搭載され、宇宙に飛び立ちました。そして、JAXAの日本宇宙食にも認定され、現在は宇宙飛行士が選択することのできる食品のひとつとなっています。

今回(※2010年5月現在)野口宇宙飛行士が持っていった宇宙食は、かしわ餅やちらし寿司、豚しゃぶなど多彩です。いずれも、当社がインスタントラーメンで培った技術を応用しており、具材を乾燥させるフリーズドライ技術、即席米飯開発技術などを活用しています。


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